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バブルの頃

20070228160824

今日は風が強かった。

多分花粉もかなり飛んでいるのであろう、
今日は、鼻よりも眼が辛かった

眼が開けられない

何か異物が入っているようだ

入っていたのかもしれない

花粉だかなんだかよく判らない

でも

見上げると空が綺麗だった

雲もあったのだが、空が綺麗だった

ふと気が付くと、あるビルが眼に入った。
花粉ではなく、今度はビル
いつも前を通っているのだが、向かい側の歩道から見ると全景がよく見える

このビルの屋上に、私がやった仕事の中で最も大きい仕事がある。
26年ほど前、業務用のガス空調機の営業をしているときに手掛けさせていただいた物件。

下からは見えないところにも室外機があり、1千万ちょい欠けの仕事

そう
その頃は、まだバブルでした。

その頃の忙しさと言ったら、殺人的でした。

先日、若い社員と『バブルの頃』の話しをしたのですが、理解してもらえませんでした。

26年前に社会人ではないと、実感はないと思う。
ですから、今、50歳以上ですか、分かるのは

・流れ作業的仕事
・お客さんには待ってもらえ

決して良いことではありません。

あの頃は、本当に忙しかった
会社を休めない
休むと他の大勢やお客様に迷惑が掛かる

安全のために、今だと二人でやる作業も一人でやっていた。

今思うと怖い、ぞっとする

でも、
お客様は「すぐ、今、付けてほしい」
そうおっしゃられる

だから、一生懸命に仕事をした。
娘が夜中に生まれて、見届けて、一睡もしないで会社に行き、夜また病院に行った。

一人で浴槽を担ぎ、エレベーターのない都営住宅の5階まで上がった。
一人で

一人で24号全自動給湯器の壁掛けを施工した

27日間休みがなく働いた
家では、家族と喧嘩もした
「家族のことも考えて!」

そんな自分が偉いとは思わない

仕方がなかった

待ってくださるお客様がいて、社員は人手不足
どんな求人活動をしても入社する人がいない
だから、みんなで頑張った
というか
本当に仕方がなかった
気持ち悪いくらい仕事があった
体が休む暇はなかったが、体が悪くなる暇もなかった

でも

なんか、

やりがいはあった、あの頃

世間では享楽的な世相だったようだが、私はそんな遊びはしていない。
ただ、収入は多かったんだと思う。
その頃、ハワイに行ったりもしていたから。

あの頃のことは、若い人には理解してもらえないだろう。
それは、仕方がない
あんなことは経験しなければ分からない
でも
知って欲しいな

バブルは、享楽的な側面だけじゃなく
本当に、殺人的に肉体的にがんばっていた人達がいたっていう事も

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